第3章 女性議員の活躍 (4)母として行動して公共を創る

リーマンショック後、高校生の就職も大学生の就職も大変厳しい時期がありました。今の人手不足からは考えられないほどです。
ちょうど私は県議になり、活動を始めたばかりでしたが、自分の娘の同級生らが困っていて、身近な子供たちが困っていることにいたたまれなくなりました。そこで、とった行動は、市内や近隣の高校(菊川・袋井)ではどのような要望があるのか調べてみました。高校へ連絡をして自ら聞き取り調査に参りました。進路指導の先生方は、一様に、企業説明会が県内1つではなく複数エリアで複数回実施、また情報がほしいのだと言われていました。これらをレポートにまとめ、先輩議員らと連名で担当各部署に提言申し上げました。
教育長にもお話を通して、改善を求めたところ、県庁内に労働局を巻き込んで、関係機関による対話のできる協議会を設置して頂きました。県庁内にそのような高校生の就職関連のプラットホームのような活動ができたことは今まで無く、初めてのようでした。国の機関である労働局と県の労働行政、そして教育委員会の各ポジションの皆さんのご協力のたまものです。
そこでの議論は、一同が会しますから時間短縮にも貢献し、多くの情報は各高校へ流れていくことになりました。
進路担当の先生方は、大変難しい時代でしたが、情報が伝わりやすくなっていったことは実感されたようです。
この協議会は県庁内では今も精力的に続けられているようです。

子どもを持つ保護者として当然考えることですが、子供たちの就職は人生の中でも大切な位置づけです。親世代の議員として当然の行動ですが、特に女性議員であったため、「なぜに就職求人が無いのか、なぜにマッチングできないのか」という問いを立てて、調査研究したように思います。
どんな小さな1歩である調査活動であっても、それが有効に波及効果をもたらすことがあります。多くの皆さんの最初の1歩は大変有効です。
小さな一歩が公共を創ることは珍しいことではないのです。
(*1回目の投稿で余りにも睡魔との戦いで、文章に不可解なところがありました。謹んでお詫びいたします。)          

カテゴリー: 女性議員のすすめ   パーマリンク

コメントは受け付けていません。