第1章 何故に女性議員は少数か (6)21世紀の選挙

今日は3月8日、国際女性デー 女性のことを考える日ということでもなく、私達に何ができるのか、未熟さをただ恥じます。
女性がなかなか選挙にリスクが大きいのも現実です。いまだに女性の選挙は厳しいと思います。
では、21世紀の選挙はどういうものになるのでしょうか?アメリカ大統領選挙に代表されるような選挙でしょうか?・・うっとため息がでます。

ネットを見ていると東大公共政策大学院の院生らの提言論文を見つけました。興味深かったのです。
まず、①オーストラリアでは現在選挙において義務投票制を引いていることを紹介しています。必ず有権者が投票をする仕組み。②未来の地方議会には、派遣議員枠やIターンやUターン議員枠ができるではないかという提案も。女性枠だけではなくこんな枠ができれば多様な立場の議員が、議場で未来を語り、まちを創造するいっぱいのアイデアで、ワクワクな議会が創出するのでは?と応援したくなります。

さすがに若者です。
議員枠を定めることが憲法違反であるという論理を持ち出す方もあられますが、次世代がどういう社会になってほしいかを見極めると、自ずとそのための議会はどうあるべきか、そういう議会にするための選挙制度改革は必要であるという方向になるでしょう。賢い市民がいる市民社会の成熟にも、選挙制度や選挙というもの自体を考える私達でありたいと思います。

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第2章 両立は可能か (3)視察せず、レポート提出という方法

もう10年ほど前ですから、地方議会では慣例・慣行が重要でした。慣行は観光へも波及し、とても切ない思い出があります。
何を言いたいか、議会には視察を通して政策立案を磨く調査活動があるわけです。その視察の訪問場所を選定するのも議会運営委員会や常任委員会の正副委員長等にゆだねられます。希望するところを議員が提出する場合もありますが、ほぼ前述のところで決まってしまいます。
当時、こんな会話が聞こえてきました。「前の年に北海道だったから今年は九州か沖縄」??
視察のテーマや目的を絞り、それが日帰りの神奈川でもいいではないかと思ったものです。女性議員の視察は家庭生活との両立を考えれば大変厳しいものですから、その厳しさを背負って出かける以上、大切で将来につながる学習になることを期待していました。
あるとき、知床の世界遺産の視察が決まりましたが、義父の重病と視察選定への不満もあって、視察を欠席させて頂いたことがありました。その代り、議長に申し入れをして、その視察の代替として図書館で世界遺産について調べ学習をしレポート提出をすることで許可を頂きました。
百聞は一見にしかず、視察の重要性は認めるものの、税金の前に、適正な視察になるように、議員らが慣行を見直すことも必要でしょう。特に女性議員が増えれば、視察の方法も変化していくことの配慮も必要です。
きっと未来の地方議会は、異なった方法を導き出すのではと推測します。
いろんな知恵から、両立が可能な方法を模索できると確信しています。

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第2章 生活と議員活動の両立は可能か (1)時間の使い方の最適化

男性議員でも女性議員でも、議会人としての行動における時間の使い方は大変重要です。
特に女性議員が受け持つ家庭での役割は大きいはず。子育て、介護、女性の得意分野での期待感は家庭の中でも大きいことでしょう。
女性の校長先生がおられますが、私の知る限り100%配偶者がご養子、実父母とのご同居の世帯です。女性が管理職をお勤めになるには、実父母の助けが必要ですね。「学校の子は自分で育てたけれど、自分の子は祖父母に育ててもらった」と親しい方が言われます。

掛川市の場合、9時30分以前には議員の公務はありません。議会や委員会の始まりはその時間です。ですから、会社等勤務の8時、8時30分、9時等の始業時間よりもはるかに時間的余裕があります。そのため、7時30分に学校へ子供を送り出し、8時50分に祖父母をデイサービスのお迎え車へおのせし、それから、自分は議会へ向かうという連続技ができるのです。綱渡りのような毎日ですが、出来ないことはありません。私の場合、夫が単身赴任をしていたので、全て私の役割でしたので、時間を適正に使い切ることが大切でした。(そのかわり、単身赴任先の夫の家の掃除やアイロンかけなどは夫のお仕事であり、夫が同居していないから戸塚はそれができたという酷評を受けたこともありました。)
夕方17時、遅くも18時には議会は終わってしまいます。土・日曜日に議会や委員会はありません。1年に5回の議会があって、1議会中、公務として拘束されるのは、1日~10日前後。ですから会社員よりも随分勤務としての拘束時間は少ないものです。
では議会活動ではなく、議員活動はどうでしょうか。議員として探求するテーマの学習やまとめ、次回の質問の資料集めや視察、などなど議員活動は自分で組み立てられますし、自分で予定が立てられます。すべて自分で考えて行動時間が決められるので、時間を最適化できれば、十分男性議員と同じように活動ができるのです。

困らないか、と言われれば嘘になります。子供が小さな時には、議員視察の宿泊を伴う行事には閉口しました。冷蔵庫にすぐに食する調理品を詰め込みますが、心配です。介護の高齢者にも申し訳ない状況になりますので、近親者にお留守番と家族のお世話をお願いしたこともありました。こんな綱渡り武勇伝?みたいなものは、どこの議会の女性議員でも持っておられることでしょう。私など高齢者の同居で様々なことがありましたが、夫や子供が病気もせず健やかだったことで、運が良かったのだと思います。
昔よりも、介護保険制度、子育て支援制度も拡充されていますので、時間の使い方さえ最適化できれば、年々楽に活動できるのではないかと推察します。

会社員が議員になれる時代になると、夜間議会などが市議会でも始まり、また活動しやすくなりますね。時代が求める方向へ制度も変わっていきます。次世代の議会はどうあればいいのか、議会で活発に議論してほしいものです。

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第3章 女性議員の活躍 (5)水問題は得意中の得意

女性議員は、上下水道、そのどちらも問題を扱いやすいとみています。私などは、河川環境活動の市民活動から市議会へというプロセスを歩んでいます。家庭の下水の流れていく先を見つめて、地域の住民と力を合わせて蛍の舞う河川環境に導いていったわけですから、1人の主婦の問題が、地域の問題となって、環境の創生と人材の育ちを導いています。女性議員は初めから育っているわけではなく、市民の皆さんと交わり、活動を共にすることで育ち合いをしていくわけです。

上水道のことも、気になります。主婦として台所にいつもたっている者として、命の水は大切です。県下でどうして命の水の値段が異なるのでしょうか?市議時代に気づいて、ようやく県議になって県下の水価の平準化を求めるつもりが、2年であえなく落選、今も残念です。大河の無い地域エリアだけが、高い水道料金を払い続ける社会ではなく、県下の単一の企業団化して水を県下あまねく供給しあう方式を取りたいものです。社会資本である上下水道の管もリニュアルが必要な時期を迎えるからなおさらです。この時期、リニアのトンネル設置における水枯れの心配も予測される中で、この上水道の課題克服にはちょうど良いタイミングです。

こんなことを気づくのも、女性議員ならではのことでしょう。
元市長に「戸塚が掛川に来てからだよ下水、下水というのは、それ以前は汚水処理の要望はさほどなかった」という言葉を伺った時には少し驚きましたが、そうではなくて、要望があっても、重ねて議会や委員会で発言が無かったので、印象が薄い分野だったのでしょう。私を選んで議会に送って下さった市民は、強く要望させたかったのでしょう。そう想像しています。
女性は思い込んだら一途に頑張るのですから。

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第1章 女性議員は何故に少数か? (5)諸外国ではクオータ制度が普及

耳慣れない「クオータ制度」という言葉があります。お隣の韓国でも近くの台湾でも、その制度は利用されています。始まりは北欧諸国のようです。議会議員活動に女性が担い手となるために、議席を獲得しやすい仕組みを整えています。
色々なタイプがあって、男女2人がペアとなって立候補する、女性の議席の数を決めておく、立候補の男女割合を%で決めておく等々様々です。フランスなどは憲法に違反するという大きな議論から、国民がそれに賛同していく時間を持っています。
韓国でも台湾でも、女性が政治のトップに躍進できたのも、制度設計があったからだと思います。これらの国が、日本よりも男女共同参画社会であるからではなく、日本と同じように男性優位ときいていますので、制度設計の力学は大きなものでしょう。
日本でも東京都清瀬市の様に女性議員が半分ほどの議席を持つ都市も出てくるようになってきましたが、そのような社会文化になっていくには地方ではまだまだ時間がかかりそうです。
国会議員の選挙では政党が、男女の比率に気配りされると、比例代表制度の中で、少しずつ割合は変わっていくはずですが、地方の議会においては、難しい課題があり、クオータ制度の制度設計は今現在何の議論も始まっていません。
是非とも、女性議員を自力で少しでも増やしながら、制度設計ができるように、女性の声を国政に挙げていきたいものです。

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第一章 女性議員は何故に少数か? (3)利益誘導は地域基盤を造ったか、地域選挙の知恵

つい20年前には、地方議員は地元に予算を誘導するために、地域では地域代表を推挙する選挙が行われてきました。私のところでは義父が議員をしていましたが、その頃はそういう時代だったと思います。ですから、人口の少ない地域でも、地域内を固めて、必ず地域代表を議会へ送り込む、そのような後援会活動が行われていました。
義父らは地元の期待に応えるように努力して、他の議員よりも沢山の予算を地元に誘導する切磋琢磨をしていたと推察しています。
今もその知恵は引き継がれていて、地域で候補者を決めてしまえば、落選させず当選に向けて動きだします。その組織には100人を超える後援会組織となって、区長さんや組長さんがかわるがわる事務所詰めをされたりして、有無を言わさず住民がお茶当番等の当番表に載っている時間をノルマとされて活動されています。
さらに候補者が乱立しないよう地域内で候補者を一本化したり、イレギラーな出馬者への対応を厳しくされたりもします。現職のいるエリアですとこんな風に地元組織にほとんどの方々が入りますから、あとからどなたが出ようも、後発の候補者には寄り添える方がいなくってしまいます。これも地域代表を出すための昔ながらの知恵なのでしょう。

それでは、現代もそういう地域代表型の議員が必要でしょうか?必要というよりそのような役割があるでしょうか?財源が極端に縮小している中で、地域に予算誘導は昔のようなわけにはいきません。
議会改革の中でも議員定数削減は、市民の要請であろうと思います。諸外国のように有償ボランティアならば、議員定数を多数にしてもよろしいわけですが、私達の地域では、専門性の高い議員を少数選んで、都市のビジョンを描くほどの専門的知見を持ち、弾力的で活発な議員活動をしてくれて、それを議論する議会運営を求めていることでしょう。
議員定数削減と言う中で、いまだに地域への利益誘導型のしがらみ選挙をされている地域では、特に女性の候補者を見つけるとこができにくいのは必然です。

地域の中でもいろんな議論をして、差別なく候補者の政策を聞いて、その中で必要だと思う候補者を選び育てることも市民社会には必要です。運動会、敬老会、ゴルフ大会、などなどで触れ合う活動も大切ですが、住民が「市民」として「未来の地方議会の在り方」を今一度考察する必要があろうかと思います。それも早くに。
皆さんも考えてください。未来を予見して都市デザインを立案し、実践を起こしていくこんな議会が求められていると思います。女性の活躍する議会を創るのも、市民おひとりお一人のチカラがそれを創るのだと思うのですが。

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第1章 女性議員は何故に少数なのか (2)民族の思想 比較文化

何時の新聞だったろうか、もう2年以上前の日経新聞の記事をはっきり覚えています。イスラエルから日本に留学され修士を修める女学生の論文が掲載されていました。掻い摘んで覚えを書けば、
「イスラエルの女性と日本の女性は似ている。政治に自らが参画せず、25年かけて男子を育てて、息子に母親が抱いてきた政治を語らせる、そういう女性たちである」というものです。
日本人の思想というか哲学というか、長い歴史から形成する文化の中で、女性たちは、政治に直接参画するのを好ましいと思ってこなかった。その代わりに、夫や周りから様々な情報を得ながら、本当ならば将来はこういう社会になれば豊かなのにという思いを抱いていて、それを家庭教育の中で息子たちに伝えていく、25年以上かけて政治教育をして、社会へ、そして政治の舞台へ巣立たせるというものでしょうか。その女学生はイスラエルもそうだと言うのです。
日本の女性議員が極端に少数であるのも、腑に落ちる比較文化論です。共感もって拝読しました。
それも1つの知恵だと思いつつも、現代においてそれでいいのだろうかと思うのです。以前の日本では考えられないほど、世界はグローバル化しています。25年以上の男子の育ちを待つ時間があるでしょうか?5年ひと昔、3年ひと昔の社会変化激しい時代です。
女性たちの言葉で政治を革新していくことが、社会の要請であろうと思います。大切にする思想、哲学と、時代に即した行動実践もまた大切ではないでしょうか。

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第3章 女性議員の活躍 (4)母として行動して公共を創る

リーマンショック後、高校生の就職も大学生の就職も大変厳しい時期がありました。今の人手不足からは考えられないほどです。
ちょうど私は県議になり、活動を始めたばかりでしたが、自分の娘の同級生らが困っていて、身近な子供たちが困っていることにいたたまれなくなりました。そこで、とった行動は、市内や近隣の高校(菊川・袋井)ではどのような要望があるのか調べてみました。高校へ連絡をして自ら聞き取り調査に参りました。進路指導の先生方は、一様に、企業説明会が県内1つではなく複数エリアで複数回実施、また情報がほしいのだと言われていました。これらをレポートにまとめ、先輩議員らと連名で担当各部署に提言申し上げました。
教育長にもお話を通して、改善を求めたところ、県庁内に労働局を巻き込んで、関係機関による対話のできる協議会を設置して頂きました。県庁内にそのような高校生の就職関連のプラットホームのような活動ができたことは今まで無く、初めてのようでした。国の機関である労働局と県の労働行政、そして教育委員会の各ポジションの皆さんのご協力のたまものです。
そこでの議論は、一同が会しますから時間短縮にも貢献し、多くの情報は各高校へ流れていくことになりました。
進路担当の先生方は、大変難しい時代でしたが、情報が伝わりやすくなっていったことは実感されたようです。
この協議会は県庁内では今も精力的に続けられているようです。

子どもを持つ保護者として当然考えることですが、子供たちの就職は人生の中でも大切な位置づけです。親世代の議員として当然の行動ですが、特に女性議員であったため、「なぜに就職求人が無いのか、なぜにマッチングできないのか」という問いを立てて、調査研究したように思います。
どんな小さな1歩である調査活動であっても、それが有効に波及効果をもたらすことがあります。多くの皆さんの最初の1歩は大変有効です。
小さな一歩が公共を創ることは珍しいことではないのです。
(*1回目の投稿で余りにも睡魔との戦いで、文章に不可解なところがありました。謹んでお詫びいたします。)          

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第一章 女性議員は何故少数なのか (1)これまでの掛川市の女性議員の数

先日、こんな言葉を聞いて、びっくり仰天しました。
「この地区に現職議員はおられ、次期選挙にも出馬されるのだから、あなたが出ても応援はできないし、出るようなことをしたら、今後あなたはこのまちにいられないかもしれないし、思いとどまった方がいい」と言われた市民がありました。
これが12万都市に住む市民の言葉でしょうか?選挙というものが、このまちではある意味特殊なコミュニティーの中で作り上げられていて、誰にも門戸が開かれていないという現象に映ります。ロボットが家庭に普及するAI時代がくるそんな社会で起こっている現実に驚いています。
 
いまだに選挙がこの様子ですが、それでは、掛川市は議会制度ができて以来、何人ぐらいの女性議員を輩出したのでしょうか?
市役所の議会事務局調べによると、昭和30年5月、石田りよ様が初めて女性市議となられました。2期されて、入れ替えの様に松浦顕子様が38年から1期。その後20年間女性市議は途絶えてしまいました。高度成長期には女性議員はいなくても良かったのでしょうか?
昭和62年に松浦町子様が当選され、平成7年まで2期務められ、福井まつ子さんが平成3年に当選されここで初めて市議会に2人の女性市議が議場にいたことになります。その後松浦和子様と堀井徹子様が平成7年から15年の合併までされましたので、3人の女性議員が活躍したことになります。平成15年の合併前選挙で、2人の女性が入れ替えのように市議になり、4期目の福井様を含めて女性議員は3人。増えないで横ばいでした。新掛川市になり、17年の市議選では15年に市議になった2人の女性が再選され、2人になり、定数削減で女性市議も減少しました。21年の選挙では現職2人は出馬せず、1人の女性候補者が立候補するものの、当選には至らず、女性市議がいない議会となりました。当時十万人以上の都市で、四国の今治市と掛川市だけが女性0議会でした。平成の25年の選挙にてようやく女性市議は1人誕生しました。
以上は旧掛川市エリアの様子です。

合併した大須賀エリアはどうだったでしょうか?
平成5年に増田正子様が1人女性町議をされています。次の選挙で金原和子様が平成9年からお出になって、平成13年まで2人の女性町議が議席についていました。その後1人も女性がいない議会になり、4年ごの17年1月に1人女性町議を輩出しています。17年4月にはすぐに合併後の選挙があり、ここで、大須賀エリアから女性議員はいなくなりました。

もう1つの合併したまち大東エリアはどうでしょう?
実は議会制度が始まって以来、お一人の女性議員も輩出できなかったエリアなのです。
女性議員がいなくても困らなかったのか、男性優位社会なのか、選挙の考え方が古風なのか、懸命で聡明な女性たちが大勢おられるにもかかわらず、勿体ないことでした。

このような掛川市でありますが、今後24人から21人に定数削減にるため、厳しい選挙が予想されます。日本の変化が大きく変化する兆しがあることから、次期選挙は大切な位置づけでしょう。

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第3章 女性議員の活躍

この「女性議員のすすめ」 は思いつくままにいろんなテーマで書いていきたいのです。今日はこんなことを書きましょう。
第3章 (3)女性議員が地域住民と道路を創るには

 かつてはハード事業をどれだけ地元に持ってくるかを競争する議員活動がありました。確かに、「この道路やあの橋は私が造りました」と支持者に見て頂きたいと思うのは人情でしょう。目に見えるものしか、市民にはわかりませんし、政治活動の成果としてとてもわかりやすいです。苦しい選挙を応援してくださった支持者にも報いたいという議員の気持ちもわかります。
 現在、公共事業費は大幅に削減されて、ハード事業の誘導は至難の業です。「予算がないので」という行政マンの言葉をそのまま市民に返さなければならないほど。議員は、目に見えるものを提示できない実情です。
 議員が後援会活動としてゴルフ大会やグランドゴルフ大会を主催し、ご自分の姿をお見せするという方向になるのも、議員活動の可視化ができにくいので、そうされるのかと想像することもあります。
 女性議員は、要望書の提出や説明だけではなく、地域住民と協働活動を展開します。全く0ベース、正確に言えばマイナスベースから始まります。できない理由を行政から伺えば「やらない」となりますが、それでも「やる」となれば厳しく時間がかかる活動の始まりです。
一般の生活道路の改良には1mあたり90万ぐらい、政治的に必要な(合併道路・産業振興・物流基盤等)高規格道路の新設に当たっては1mあたり450万円ほど予算が必要だとかつて聞いたことがあります。(平成20年前後)道路はその道路の性格上規格水準が異なるのです。
 道路を創る「方程式」はあります。
「方程式」があれば短時間でできるのではありません。「急がばまわれ」のごとくです。
 私は何本も道路活動をさせて頂きました。私個人の表現ですが「方程式」は、実践でわかってきたものです。この場では白板もないことから、また出前講座として呼んでいただければ、ご説明します。
 昔も今も、政治の要諦は、「水」と「道路」だと言う方があります。ソフトが大事な時代ですが、ハードが大事になることも。女性議員はその道路の存在意義を鑑み、粘り強く活動していくのです。

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